花らか出会う一体性
自分は固有の人間であるという、個人的な分離感から、
自分は全体性を持っている感覚、全てのものと、繋がりがあり、全体性を感じる感覚は、
私は、花を入口として感じることがあり、
開花している花の中心からの、美しい、神聖な粒子を感じる、とその粒子は、他の葉や木々などからも感じ、自分の中にも同じ粒子を感じ、同時なものを感じる。
すると、全体性に気づいていき、全て同じもので出来ている感覚になる。
これは、日常、花にふと出会い、自然の花から感じることがある
……そうしたことが、
ニューアースの本の冒頭に書いてあった。
ニューアースは、10年ほど前に手にした本だが、何回も開いたりする本である。
(以下ニューアースより)
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花、開く
一億一千四百万年前のある朝、夜が明けてまもないころ、昇る朝日を受けて一輪の花がほっかりと開く。
地球という星の最初の花だ。
すでに何百万年か前から地球には植物が茂っていたが、
この最初の開花は植物という生命体の画期的な進化と変容を告げる出来事だった。〜……
……(中略)……
それからだいぶたって、私たちが花と呼ぶ香り高く繊細な存在は、他の種の意識の進化に欠かすことのできない役割を担いだす。
人類はますます花にひきつけられ、魅せられる。
人類の意識が進化するなかで、
実用的な目的をもたない、つまり生存と結びつかないのに、高く評価された最初の対象はきっと花だったに違いない。
花々は無数の芸術家、詩人、神秘主義者にイ
ンスピレーションを与えてきた。
イエスは、花について思え、そして花から生き方を学べ、と語った。
ブッダはあるとき、弟子たちを前に一本の花を掲げ、「黙して語らなかった」という。
しばらくして弟子たちの一人、摩詞迦葉(マハーカッサパ)という僧が微笑んだ (括華微笑)。
摩詞迦葉だけがブッダの沈黙の教えの意味を理解したのだ。
その後二十八代の師に伝えられ、やがて禅の始まりになった。
花に美を見出すことを通じて、人類はほんのつかの間であれ、自分の最も内なる存在の核心にある美や本質に目覚めるのではないか。
美というものの最初の認識は、人類の意識の進化にとって最も重要な出来事の一つだった。
その認識と本来的に結びついているのが喜びと愛という感情である。
それとは、はっきりと気づかないうちに、花々は私たちにとって、自らのなかの最も高貴で聖らかな、究極的には形になり得ないものを表現するものになった。
生まれ出るもとの植物よりももっとはかなくて美しく繊細な花々は別の領域から来たメッセンジャー、物理的な形の世界と形のない世界をつなぐ橋のようなものだ。
花々には人々を喜ばせる繊細な良い匂いがあるだけではなく、霊性の領域の香りをも運んでくる。
「悟り」という言葉をふつうに言われるよりも広い意味で使うなら、私たちは花々に植物の悟りを見ることができる。
(以上ニューアースより)
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上記添付した中に、
花に美を見出すことを通じて、人類はほんのつかの間であれ、自分の最も内なる存在の核心にある美や本質に目覚めるのではないか。
このことは、
本当にそう思う。
日常にあり、一瞬にして、その領域を同時に感じる事ができ、自分の中の純粋な美や、本質に気づく事ができると思う。
そしてその認識から感じられるのは…
その認識と本来的に結びついているのが喜びと愛という感情である。
…とあるように、
その時、喜びと愛が感じられる。
すべての人の中に内在していているものだ。
ニューアースの本は、まだまだ、抜粋したいところは多いが☺️
今日は、日頃感じている事がそのまま綴ってある文があったので、載せておく。
また
フラワーエッセンス講座で
使っている本がある。
この本は、
バッチフラワーの38種類の花のエネルギーがそのまま写してあり良書だと思う。
その各花のエネルギーからも、全体性を感じて行く事ができる。
フラワーエッセンス講座では、
この本を使って、各花のエネルギーを分かちあっている。
2コメント
2021.01.10 07:16
2020.12.23 12:30