バイロンケイティ…考えについて。
バイロンケイティ…(新しい自分に目覚める4つの質問より)
考えは友達であり、敵ではありません。
ただそのままであり、湧き出てくる、無垢な存在です。
私たちが考えをつくっているわけではありません。
自分個人とは関わりがないのです。
考えは、そよ風や木の葉や雨粒のようなものです。
ただ生じるのであり、仲良くすることができます。
あなたは雨粒に抵抗しますか?
雨粒同様、考えも湧いてくるだけで、自分個人と関わりがないのです。
個人的なものと思われるのは、あなたがそうした考えに付け加えた意味なのです。
ですから、ワークによって探求してみましょう。
あなたの考えを理解をもって受けとめましょう。
痛みを伴う考えであっても、ひとたび理解と共に受けとめれば、次にまた現れても、興味深いと思えるかもしれません。
かつては悪夢だった考えが、今はただ、興味深いのです。
次に現れた時は、面白いとさえ思えるかもしれません。
さらにまた現れた時には、気づきさえしないかもしれません。
執着がないからです。
私は、子供に接するように自分の考えに接します。
愛や優しさ、そして心静かな理解をもって接するのです。
バイロンケイティ…(新しい自分に目覚める4つの質問より)
・*:..。o○☼*゚・*:..。o○☼*゚・*:..。o○☼*゚
思考を観察すると本当に思考はただ、自然に湧き出てきて、そよ風、雨粒に例えてあるのがしっくりくる。
ただ眺めるだけだと、消えてなくなるが、
バイロンケイティは
"個人的なものと思われるのは、あなたがそうした考えに付け加えた意味なのです。"
と表している。
自分の反応として感じるものは、教えてくれるサインでもあるが、そこには感情のエネルギーもついているので、反応して体でも感じ考えもエネルギーを持ってしまうが、
ケイティは、
その考えを理解と共に受け止めれば、興味深い→面白い→気づきさえしない…かも知れません。執着がないから…と。
考えに愛と優しさ、そして心静かな理解を持って接すること…と言っている。
私は最近は、個人的なものとして、感じた時は、プレゼンスの空間にただ置いて観る。
そのままにしておく。
その場に任せる。
この時も心静かな理解を持って接すると言った感じも合うが、
ただ観ること(任せること)により、気づきがありながらも
そのプロセスは一瞬一瞬の一期一会である。
0コメント