寄り添うということ。
Facebookで、ひとつの投稿をみた。
その投稿は、水俣病患者の方のお話しを聞いている方の投稿だった。
あの当時、海の魚を、山の魚が買えない方に行商して売っていた方が、自分も魚を食べ、
子供が胎児性水俣病で自由が効かない身体になって、自分もうまく喋れない。
その方が、自分が魚を売ったから、山に住んでいた方も、水俣病になったと自責の念。
でも、食べて行く為には、魚を売るしか、なかった。
と。
水俣病になり自責の念にもかられ、子供も水俣病。
その方々の、診断に付き添い、話しを聞く方の投稿だったのだが、
同行した、高校生の話しが、心に残った。
お話しを聞く方は、言葉から、いろいろ想像してしまうが、
" 言葉は、断片でしかない"
「表に出てくる言葉というのはほんの断片で、人は、それよりも、ずっと多くのことを考えている。本人がこう、と思っても、本人すら気づいていない、無意識の考えがあったりもする。その人の言ったことのすべてが、その人の考えていることではない。だから私たちは誰かが『この人はこう言ったから、こう考えている』と、想像で判断したり、その人になりかわったようにして、ものを言ってはいけないんだよ」と。
ひとつの言葉だけでは、推し量れないものだと。
高校生の言葉。
その事が自分の中にあるのとないのでは、違いがある。
言葉とは、沢山の気持ちの一番先にあるものだなと、よく思うのだが、言葉はそれで表すしかないが、全てではない。
ついつい、感情的な時は、その言葉が全てでその人を見てしまうが…
その人全体を眺められるものが自分の中にもある愛だと思う。
そして、寄り添う事。
厳しい現実にも、ただ寄り添い、そうだったんだねと同意し、ただ、一緒にいるよと、そばにいること。
心を寄せてただそこにいる事。
それは、何よりも、安心するものだ。
それだけで、溶けていくものもある。
行為よりも、ただ心を寄せて傍にいる事は、優しい愛がある。
また、歩みだせる力は、全ての人の中にある。
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