やることに価値があるのではなく在ることに価値はある。
○○が出来る自分、
○○をやっている自分
○○頑張ってるから、いい自分
その反対の自分がいると価値も下がるし、
ダメのように思えてくる…
自我は、なにかやらないと価値がないと、
思ってしまうことがある。
でも、もし何もやらなくても、
そのまま丸ごと、優しく見守られている、
自分の中にあるものは、そのままあって、
その丸ごとをOKと言われたら、
受け入れられたら…
本当は、そのままでOKといつも言われている。
ここに存在していることが、それを証明している。
個の自分が、自分を訂正していくこと、よりも、
全体の自分、観ているもの、気づいているものはいつも、その個の自分を丸ごとOKで優しく見守ってくれている。
ここに在ること、存在していることが、大きな価値がある。
今、足元に寝ている
マロン(犬🐶)を見てもそう思う☺️
毎日、ゴロっと、寝ていて、側にいる。
ご飯を食べて、散歩して、
時間があると寝ていて、お腹が、呼吸と共に膨らんでいる。
ただすごしているのに、ただ側にいるだけで、生きていてくれるだけで、ありがたい。
本当は、生きて出会うだけで、とても価値があり、存在しているだけで、充分なのかもしれない。
そういえば、子供が生まれた時は、そうだった。
無条件に存在していてくれることがありがたいと思った。
きっと、自分が生まれた時も、そう思って見つめられたと思う。
来てくれてありがとうと思ってもらえたのだと。
人がここに存在するだけで、悦びと価値がある。
いつもその自分の存在に120%の肯定を持って観ているその全体の自分から、この色の個の自分、見てあげようと思う。
そのまま、私という存在を観ているものからすると、
どんな自分も、愛おしい存在であり、
その愛おしさに包まれると、身体全体があたたかく、優しさに包まれる。
自我はより、いいものを追いかけてしまう 習性というものがあるが、
それはそれで…
ただ、自我から、自己へバトンを渡すことができると、
本当の、安らぎがそこにはあると思う。
それは、今ここで感じる事ができる。
0コメント