感情を気づきの明瞭さの中で観る
今日は
"悟りを生きる"の本から
感情を気づきの明瞭さの中で観ることについてのシェアをしたいと思います。
以下抜粋したものです。
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感情が実質のあるものに見えたのは、自分を定義する言葉を重視したり、それとなく体の中に浮かんできた、感情のエネルギーが閉じ込められた映像を重視しているからだということがわかってきます。
感情の実質性がゆるんでくると、体そのものも開かれた透明なものに見えてきます。
体が感情を抱えているという感覚がゆるんでいくのに伴って、自分が体の中に閉じ込
められているという感覚もゆるんできます。
このようにして、感情とは体験の中を自由に滑らかに流れていく流動的なエネルギーだと感じられるようになります。
あなたは苦しいエネルギーから逃げようとか、それを避けよう、無力化しよう、取り除こうとはしなくなります。
それまでのように何としても望ましい感情を手に入れ、望ましくない感情からは逃げたいとは思わなくなります。
「望ましい」とか「望ましくない」というのは単なる観点で、自分にはその観点をゆるめることができるのを知っています。
自分が傷つけられたり拒否されたりするかもしれない人々や状況、あるいは怒りやれ、抵抗を感じるかもしれない人々や状況から身を守るのがそれほど重要なことだとは、もう感じません
この世界に暮らしていれば、たびたび困難な人々や状況、出来事に出会うでしょう。
その時
いつもの物語がまた現れるかもしれません。
またもやそれを自分の物語だと思うかもしれません。
でもその状況さえも、あるがままに受け入れます。
困難な状況に出くわすたびに、
今は観点をゆるめ、言葉と映像を重視せず、感情のエネルギーを自由に流れさせる時だと受け止めます。
そのような困難に出会っても、気づきの明噺さを完全に信頼していると、心の領域がどんどん開かれていきます。
何らかの観点が現れた時には、それが透明なものであることがすぐにわかるでしょう。
そうなると、観点をもったり表現したりはするのですが、自己という感覚を
生き延びさせるためにそれを重視することはなくなるのです。
困難な状況や人間関係がもたらす感情の痛みに対して、それまでとは違う姿勢で向き合うようになります。
それに抵抗しなくてはならない、あるいはそれから逃げなくてはならないという認識はなくなり、難しい状況や人間関係は
自由や愛、平安、憐れみのさらなる深遠さへ通じる扉になります。
人間関係では自然に私心なく振る舞うことができるようになり、傷つきやすくあることを恐れず、心は開かれています。
そして体験を、それがどのような現れ方をしようとも、より親密感をもって受け入れるようになります。
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以上、本の中から、一部を抜粋して、
紹介しました。
感情は過去の出来事からのフィルターの反応であっても、そのバイブレーションを感じているのは、今です。
今そのバイブレーションをどう扱うか、
プレゼンスのスペース
気づきのスペースで、それを置いておく。
自分にはその観点をゆるめることができるのを知っています…とあるように、
感情そのものではなく、感情に気づいている側であり、
そのスペースで今、置いて、観ると
その感情は過去の、そのものではなくなります。
過去のそのものが力を持つことは弱まり、
そのバイブレーションは形を変えていきます。
今、プレゼンスの中で、観る。
NLPでは、
associate アソシエート
desosieteデソシエート
等で私は説明しますが、
デソシエートしている状態、デソシエートしてゆっくり観てみること、
そしてその場に落ち着いてただ何もせず観る。
言葉にすると、寄り添っている、受容していることになりますが、
ただ、ただ本質に任せる…( ¨̮ )
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