花の中に視る
毎朝、毎夕、マロン(犬)の散歩をしている。
散歩をマロンの為にという気持ちもありつつ、散歩ほど、日々の移り変わりを感じる時間はないと思うほど。
同じようで、少しづつ変化している日々に気づく時間である。
花や草、木🍃🌳など、毎日歩いていると日々の変化に気づく。
静かな変化の中、自然の生命を感じる。
二年ほど前くらいだった、花の中から、輝かしい躍動感、粒子のようなものを花の中心から感じる朝があった、その粒子は自分の中にもある胸の奥から感じるようなもので、
道端に咲いている花が神々しく、込み上げる感動があった。
すべては同じもので出来ていて、花の中の神々しい粒子を自分の中、全体にも感じ、私の感覚では、細かい神々しい粒子でそれを感じた朝だった。
それから、それを感じる日とそうでない日があった。
最近も、花に出会うとなんとも言えない、光のような粒子を感じ、他の自然からも生き生きとした静かな生命を感じる。
エックハルト・トールの「ニューアース」の本の最初の方にも書いてあったのを思い出した。
花に美を見い出すことを通じて、人類はほんのつかの間であれ、自分の最も内なる存在の核心にある、美や本質に目覚めるのではないか。(ニューアースより)
私も自分の体験から、
花は、自分は生命のひとつの表れだと気づく、入り口のようなものであり、胸の奥から
くる意識に戻れるものである。
毎年、散歩道に夏の始まりから会う、桔梗の花がある。
この自然の中に咲いている、桔梗の花、なんとも胸の奥に同じものを感じた瞬間があり、
今年も同じところに沢山、咲いてくれている。
外界への静かで鋭敏な意識が、芽生えると生命の聖なる本質、あらゆる生命体に存在する意識あるいは魂を感じとり、それが自分自身の本質でもあるように愛するようになる
(ニューアースより)
私にとって花は、「空」というものを感じれる、入り口であり、ギフトである。
そして、日々を楽しめるひとつでもある。
フラワーエッセンスや精油を使っているが、生命から、聖なるものからのギフトだとそのまま感じられる。
生命が私として生きている。感覚に一瞬にしてなれる、時でもある。
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