自分の味方も敵も自分な訳。。
今朝、youtubeの歌を流しながら、作業をしていた。
いろいろ好きな歌が流れてきたが、
ミスチルの桜井和寿が歌う、
中島みゆきのファイト という歌が流れできた…
その中の詩
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私、 本当は
目撃したんです
昨日電車の駅、階段で
ころがり落ちた子供と
つきとばした女のうす笑い
私、驚いてしまって
助けもせず叫びもしなかった
ただ恐くて逃げました
私の敵は 私です
≪ファイト! 歌詞より抜粋≫
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最後の私の敵は私です…
この言葉・・・ウルッときた。。
(自我の愛らしさを感じる。)
誰でも勇気を出したらいいとわかっていたり
誰にでも、やりたいことをやりたいと思っていたり
でも、できないのは・・
この詩にあるように咄嗟に出てしまう、自分の行動。
それは、自分の、心の中をよく見てみると・・・
{心の中(潜在意識)は、その状況から・・一番自分が、安全な、
自分を守る行動…を選んでいる。(その人なりの解釈・理由がある)
頭では(顕在意識では)、○○したい・・・と思っていても・・・理想の行動がとれないのは、
その人の潜在意識には、そう解釈してしまう理由があって、一番安心できる、ベストな行動を
選んでいる。}
人の中には、そうした自分が、誰の中にもいて…
外側が悪いと思っていても、よく見てみると、結局自分がそう解釈してしまい、行動を制限しているのは、自分を守っている自我…
味方のようで、敵のようで。
この流れてきた、桜井和寿さんが歌うファイトのこの言葉が妙に沁みました。
自我はどこまで行っても、分離感があり、守らないとダメだと、守ってくれる。
この分離感を、持った自我の自分と、本当の全てにつながっている自己。
自我の自分と、この人生というものの本質から視て、すべてに気づいている、自己。
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個人であると、思っていると、
自分の人生は、自分の解釈で世の中を見て、
いるので、行動できないのも、制限されるのも最終的には、自分の解釈が制限させ、自分の解釈が自分を守る行動を選んでいる。
いつも自分が味方であり、自分の敵も自分。
あの歌を聴くと、妙に誰にでもあることで、わかるよ…
わかる。
自分を責めなくていいよ。
誰の中にもあって、余計に愛着があるくらいだよ。
といいたくなる、歌詞だった。
このファイトという歌、
人生を闘っていく!という歌。
個人が自分だと思うと最後まで、闘いながら、分かり合いながら、そこで共感しながらも生きていける…
そして…本当の自分。
その自分の人生もまるごと、視ていて、見守っていて、全てのことに気づいていて、泰然と揺るがない、その自分に、休憩も入れながら、安心しながら、個人としての自分も、そのまま生きる。
桜井和寿バージョン、ファイト!
https://youtu.be/livrpdrwYXQ
もう~歌、上手い!
歌は、人の愛らしさ、苦しみを(個人のストーリーを)伝えてくれて、
自我の奥底の可愛らしさまで、伝えてくれ哀愁がある、尾崎豊の歌もそう。。だな。
思い切り、自我の叫びを表現すると、共通に癒される、(愛らしくなると同時に、すごく、俯瞰した自分になることがある)
誰でも持ち合わせている弱さがわかるから。
その共通の分離感の弱さや、迷い、誰の中にもあるから、そうだな・・と繋がれる。
共通して繋がることにより、全体のつながり感で癒される。
つながり感というのは、無条件に安心させ、
その時、
繋がり、共通した安心の私は1人ではなく、みんなと同じなんだと、つながりの愛も感じている。
自我の叫びのようなものは、愛からできているのを感じる。
自我の底の底は、自己に繋がっている♡
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