この空間のように。
昨日実家から戻り、自宅の庭の隅に花が咲いていました。
毎年、春の訪れを見せてくれるような花です。
柔らかい花びらで、夕方には花が閉じます。
お正月も過ぎ、夕方の日の入りも長くなり、
日々、刻々と変化していて、自然は生き生きと純粋な美しいエネルギーを見せてくれていて、その純粋なエネルギーを感じると、自分もそのエネルギーの一部であり、全て同じものから出来ているのを感じます。
年末にルパートさんの動画を見ることができ、ブログに文字に残して…
その中の言葉が時間と共に、より深く感じています。
全てのものごとの背後にいつもある静けさ、
年末年始、慌しい中でもある、背後の静けさ、静寂は、本当に優しく、いつでも戻れる場所です。
また、ものごとの形や事象のような、外側ではなく、幸福は内側のもの、外側によってもたらされることはない…ということも…
初詣でも今年は良いことを…というのが一般的かと思いますが、
良いと思っていることに無条件に反応している内側のエネルギーを見ることができれば、
幸福は、
ものごとの外側の問題ではなく、内側の感じるエネルギーだと。
いつも幸せを感じている時は、同一の体験を感じている…こと。
また、
幸福とは反対に嫌だなとか、不快な感じがした時、日々過ごす中で、自分の感情が動いた時に気づいていると、
外側のものごとがそうさせた…と思っているけれども、そのことに対する内側の反応がある。
その反応したものごとに、何らかの抵抗を感じていて、身体の中に、微かな、エネルギーの停滞を感じていたり、
時には、大きなエネルギーの抵抗を感じていたり、
それに気づいていて、この空間のように、その反応までそのまま受け入れてみる、迎え入れる。
その正直な反応もまるごと受け入れ、静寂と共に、そのままにしていると、これまでの解釈もそのままありながら、違う気づきもあり…そうしていると、どんな自分でもいいし、良い自分(自我から考える)とか目指すこともなく、ただそのままにしておいて、静寂の安心にいると、いつも変わらない、本当の自分が感じられる。
実は、ありのままでよかったんだと。
どんな反応をしてもいいし、
反応もありのままで、正直に迎え入れる、
静かな場所、背後にあるものが、いつもいた。
それが、自分だとわかれば、深い安心の中にいる。
私たちの平安や幸福は、ものの状態に依存しないとわかる時、自由の大海が私たちのなかに広がる…
この言葉がより深まって行くのが、楽しみ!
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